F.P.JOURNE(フランソア ポール ジュルヌ)-腕時計 評判
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【F.P.JOURNE】 ここが良い点・悪い点! 【レビュー140件】
創業者のフランソワーポール・ジュルヌは、独立時計師として名を馳せた人物。彼が時計師を目指すきっかけとなったのは、 トゥールビヨンだった。
「所有したいが、高額すぎる」という考えから、複雑機構の代名詞であるトゥールビヨンを自作してしまったのだ。さらにフランド創設前よリコレクター向けにオーダーメイドの時計を製造するなど、その技術力は当初から圧倒的なものだった。
また、1989年のマドリッドで開催された時計師の大会にてバランシエ・ドール賞受賞を皮切りに、個人としてもフランドとしても数々の賞を現在までに受賞。
こうした輝かしい功績の背景には、真に創造的であることを意味するラテン語の「‐lnvenit et Fecit‐(発明し、製作する)」の哲学がある。
時計を発展させてきた偉人に捧げる時計として、FPジュルヌの時計は常に過去の発明に敬意を表して作られているのだ。そして、その代表的なものが、テンプの共振現象を応用して2つのテンプが精度を補正し合いながら高精度を維持する世界初の時計や、100分の1秒計測を可能にした「サンティグラフ・スヴラン」などである。
先人の知恵を糧に現代の技術力を駆使したこれら製品は、まさに同社の哲学を体現したものだと言えよう。
機構開発だけでなく、審美性においてもFPジュルヌのこだわりは強い。“時計はすべてにおいて美しくなければならない"という考えから、ムーブメントは18KRGに続―。
ケースもPt、もしくは18KGで展開(一部モデルとスポーツモデル除く)している。
針やインデックスも独自設計を採用するなど、デザインコントロールは完璧だ。
ブランドの年間製作本数は900本弱とわずかだが、その時計に魅了されたファンは世界中に広がっている。
フランソワ‐ポール・ジュルヌが生まれたとき、周りには誰も時計師はいなかった。つまり、家族の誰も時計師ではなかった。
やがて成長した彼は、あまり勉強ができるほうではなかったので、親戚が経営する技術学校に入り、時計技術の勉強をすることにした。ただ、その学校は時計の専門ではなく、いわゆる職業訓練学校で、自動車の課程などもあった。
その学校で教えていたのは時計の修理技術。でも当時はクオーツの時代だったから、もはや時計を学ぶ人などほとんどいなかったし、彼自身″どうせクオーツ時計の電池交換ぐらいしか仕事がない″と思いながら勉強していた。
とはいえ学校で講義を聴く退屈さを考えたら機械部品を作るのはとても楽しく、あっという間に時間が過ぎた。ところがそれも長くは続かなかった。だんだんつまらなくなって、とうとう先生に見放され、君は時計師には向いていない、と宣告された。
結局マルセイユの学校は3年の最終課程までいかず2年で終わった。
そうこうしているうち、叔父がパリで時計修理の工房を開いたのでパリに行き、時計学校で学びながら週に1回、工房で働くことになった。
でも、最初は丁稚みたいなものだから懐中時計には一切触らせてもらえず、工具の整備や置時計をいじる程度。やがて1976年に時計学校を卒業し、兵役に行って、また叔父の工房で1985年まで働いた。
当時、機械式複雑時計は夜明け前。ジュルヌの時計も一般的評価を得るには至らなかった。
そんな折、トラブルが発生。
それはパートナーとの意見の食い違いだった。「1994年、彼と意見が合わなくなり身を引くことにした。でも、パリの工房を残してあったから、そつちに戻り、コンセプターとしてメゾンから依頼を受けるビジネスを始めた
。ところが1年後、あるメゾンの依頼でプロジエクトを立ち上げたとき、ひとりの親友から″引退する時計師がいて、ジュネーブに場所があるから来ないか″と呼ばれ、移ることにした。
やはり時計を作るならパリよリジュネーブがいい。そしてプロジェクトをフォローするメンバーが必要なので10人ほどの時計師を雇い、製図士も見つけて会社を設立した。
それがTIMだ。ちょうどその頃から、急に時計の傾向が変わり、自作のトゥールビヨンを嵌めていると″その時計どこで買ったの?″と聞かれることが増えてきた。
それを受けて、私はパリのカフェで友達と会ったとき自分のブランドでのコレクションを作ろうと思う、と話しながら、アイデアをテーブルに敷いてあった紙に描いた。
彼はそれを破って持って行ったのだが、10年後に返してくれた。
それがこのスケッチさ。″自分のブランドで、ある程度の数を作ろう″と思ったのは、実はこのときが最初だった。
でも、そのコレクションの構築に苦労した。理由は資金がなかったから。するとパリの友人が″ブレゲのスースクリプション・システム 前金を受け取り時計を製作し、完成時に残金をもらう方式)を取り入れたらどうか?″と提案した。
そこで時計愛好家20人に出資してもらつた。それが事業のスタートに非常な助けになったんだ。こうして作ったのがルモントワール装置付きのトウールビヨン・スヴラン。
これもバーゼルのアカデミーで発表したが、1991年とは打って変わって誰もが驚き注目し、欲しがった。
8年で状況と好みが変わったんだ。なぜなら時計はほとんど同じだから。
ただ1991年は100%手仕事だったから、シリーズ生産はできない状態。
一方、1999年のものは機構をシリーズ生産に対応できるよう修正した。
これがバーゼルでたくさん注文を受けて、1998年から1999年は経済状態が良く、落ち着いて仕事ができ、売れる確証が持てたので、リテ―ル(販売)のビジネスを始めることにしてモントル・ジュルヌSAを立ち上げたんだ」
他社の開発担当、つまり日陰の存在から脱却し、自社ブランドでの時計製造・販売へと歩みだしたジュルヌ。彼の次の課題は製造体制の確立だった。
「何しろ最初の工房は狭かった。でもアカシア(ジュネーブの外れの工場地帯)ではなく、街中がいい。そこで物件を探したら、友人のカメラマンがスタジオにしていたこの建物を紹介された。
彼は″僕は引っ越すからここを使ったら″と言うので200平米の場所を借りた。これで当分は大文夫だと思ったら、なんと1年で手狭になった。
予想以上に注文が入ったからね。するとまたカメラマンが電話をくれて″この建物を買う気はあるか?″と聞く。彼はこの建物のオーナーを知っていたんだ。
そこで2001年に交渉を始め、2年後にやっと話がまとまり購入を決めた。やがて間借りしていたダンス教室や額職人が出て改修工事に入り、やっと今の状況になったわけだ」
歴史的建築物にも指定されている古いビルディングは、今やジュルヌの製造拠点であり、ジュネーブに新たに出現した威風堂堂たるマニュファクチュールである。
しかし、彼はこの状況に満足してはいない。
「上層に増築するため太い金属の柱を地下まで貫き、将来を考慮して工事をした。いずれは研修所を設けて時計師を養成したいが、ゆっくり展開するつもりだ」
話は前後するが、ジュルヌの時計作りを語る上で、決して忘れてはならない出来事がある。それが2001年発表の、ハリー・ウィンストンとの共同事業である「オーパスー」のスタートだ。
このとき、ジュルヌは18種類のすべて異なる時計を単品製作するという離れ業をやってのけた。
「このプロジェクトは、プロデューサーのマキシミリアン・ブッサー(前ハリー・ウィンストン・レアタイムピース代表。現在はMB&Fを立ち上げ、独自の時計作りを展開)と会い、彼のコンセプトに基づいて時計を作ってほしいと頼まれたことから始まった。
その頃は″オーパス″の名称はなく、ほかの時計師と協力して作るようにと言われたが、それは断った。
結局、彼が折れ、ひとりで作ることになった。それが結果的には良かった。時計はを完売し、ハリー・ウィンストンも″時計を作るブランド″というイメージを確立できたと思う。
ただ、私自身は大きな資本と組んでやるというのは性に合わない。
有名になった時計師はたくさんいる。それは彼らが資本金を出すパートナーと組んだから。
でも彼らは今、幸せだろうか? 逆に言えば、投資家が私の会社を買収することはないだろう。
なぜなら短期で利益が出るようなことをやってないから。
もし彼らが私の会社を買収したら、大量生産を行うだろう。
だが、それでは良いものはできないさ。急ぐ必要はない。だって早く達成してしまったら、次にやることがなくなってしまうだろう? 私は工房の時計師が夜遅く帰るとき″作業は終わったかい?″と声をかける。
もし、彼らが″まだ終わってない″と答えたら、私はこう言うのさ。″良かったね。また明日、工房に来られるよ″って」
独立時計師としての腕を存分に発揮しながらも、大資本に取り込まれることなく、独自の道を突き進むフランソワ-ポール・ジュルヌ。今ではジュネーブにマニュファクチュールを構え、彼の理念に基づく時計作りは高い評価を獲得した。そして、その背景にはジュルヌを支え続ける、有能なマネージャー"フィリップ・ラバン"の存在がある。
″マジメ″を絵に描いたようなフィリップ・ラバン氏。
子供っぽい茶目っ気を感じさせるジュルヌとは好対照だが、ラバン氏のマジメさこそ、ジュルヌに必要不可欠な要素だったと思われる。
それにしても自動車の世界から時計界ヘの転身とは、大胆な決断である。「時計の仕事は初めてでしたが、マネージングには精通していたので、時計業界も共通だと考えたのです。それにジュルヌは、これで一山当てようというのではないところにも心を動かされました。
最初に彼に会ったとき、彼の作ったトゥールビヨンや描き溜めたデッサンを見ました。そこには今のモデルの80%ほどがすでにありましたね。
それを見て、真っ先に思ったのは″これはエクストラ・オーディネール(非日常的な)な時計だ″ということ。
私は時計をまったく知りませんでしたが、彼の時計は、街の時計店にはない特別なものだということはわかりました」ジュルヌの時計に大きな衝撃を受けたラバン氏は、長年の経験を生かしてマネジメントでジュルヌをサポートすることとなる。
当然、ジュルヌほどの発想力と技術を持つ時計師なら、これまでにさまざまな誘惑があったに違いない。
「無論、彼のノウハウを奪いたいグループは少なくありませんし、大きな資本グループが興味を示したこともありました。
でも、我々は自立できる力があるので、その誘いには乗りません。だから我々は今も完全に独立した企業であり、経営状態は健全。利益はすべて次の生産のために投資していますし、買収されることもないでしょう。
なぜならジュルヌ自身、独立心の旺盛な人ですし、少年の頃の夢を今も追い続けているからです。
だからたとえ何十億フランものお金を机の上に置かれても、それで彼が動くとは思いません。
規格外れなこともしますが、きちんと自分をコントロールできる。それがジュルヌという人なのです」
2006年に正時を自動的に音で知らせる「ソヌリ・スヴレンヌ」を発表したF.P.ジュルヌが、今再びストライキング・ウォッチ(音で時刻を知らせる時計の総称)に革命をもたらす。
それが新作「レペティションミニッツ・スヴラン」。
特徴は、従来のリング状(スチールの輪)をムーブメント外周に仕込むのではなく、板状のゴングを開発し、文字盤下に組み込んだこと。
これによりムーブメントのサイズに対する制約が減じ、ハンマーの動きが文字盤に窓を穿つことで観察できるようになった。
もうひとつの特徴は、このリピーターが極めて薄いこと。ムーブメント厚は約4.0mm。
以前、ヴァンュロン・コンスタンタンが4.1mmのリピーター・ムーブメントを製作し、さらにジェラルド・ジエンタが2.7mmの極薄型を実現したが、今回のジュルヌのモデルも極めて薄い。
そして、この薄さにも関わらず、さまざまな工夫によってボリューム感のある魅力的な音色を獲得したことが画期的なのである。
18Kローズゴールドで製作された地板とブリッジは、リピーターのメカニズムが文字盤側に装備されているため、こちらからは見えない。ケースは音色を重視してSSを採用。その厚さは、わずか8.65mm。
通常の3針時計でも十分に薄型といえる数値だ。
「クロノメーター・スヴラン」のムーブメント厚が3.7mmと聞けばmリピーターで4.0mmは驚異的数値。作動時のノイズを低減するガバナーも新開発され、澄んだ音色の実現に貢献している。
「これから音色とチャイムの間隔をチューニングするが、既存技術をうまく組み合わせたので本生産の開始は早いと思う」とジュルヌ氏は述べている。
カンティエーム・パーペチュアル
714万円
フランド初の永久カレンターを搭載した複雑時計。大型の日付表示と 月、曜日をウインドウ表示。時分針同軸の極小針で閏年を示す。40mmと42mmの2サイズあり RG仕様もある。
クロノメーター・オプティマム
840万円
手巻きのスヴランに属する高精度時計。初のチタン製となるルモントワール機構(定力装置)とレバーヘの潤滑油を不要とした脱進機は同社の特許技術だ。40mmと42mmで展開。Ptもある。
トゥールビヨン 懐中時計
1040万円
パリにある叔父の工房で働きながら、休日を利用して製作したというトゥールビヨン機構装備の懐中時計。初代ブレゲの作品に強く影響を受けている。ガラスと軸受けのルビーを除くすべての部品は、ジュルヌ自らが製作したもの。ケースはソリッドゴールド製で、これもジュルヌの自製。裏蓋を開閉させるための蝶番(ちようつがい)の部分が、もっとも難しかったと語る。ムーブメントはダブルバレルで、細かい梨地調のギルト仕上げ。大きなブルースチールのビスが印象的だ。この時計は、ジュルヌ自身が今も保有する。
天文表示付き 懐中時計
920万円
1987年に完成したジュルヌ6番目の作品。科学機器コレクターの注文に応じて、天文表示機構が組み込まれている。時計の表面には時分針、ムーンフェイズ、第2タイムゾーン表示、スモールセコンド、均時差、パワーリザーブなどが軸を分割したレギュレーターのスタイルで表示される。
トゥータレビヨン腕時計
880万円
懐中時計や置時計の人気の低下を受け、ジュルヌが製作したルモントワール装置装備のトゥールビヨン腕時計。後の「トゥールビヨンスヴラン」も原型である。ただし、この腕時計の斬新さに注目した人はごくわずかであった。だが驚くべきこと、この時計には現在のジュルヌ作品の基礎となる意匠、つまリトウールビヨンキャリッジの形状、トゥールビヨンと時分インダイアルの位置関係、枠で取り囲まれたインダイアルなどが、すべて出そろっている。さらにこの時計は18Kゴールドで地板や輪列が製作された。
オクタ・オートマチック リザーブ
392万円
2001年発表のオクタキャリバーをベースに新開発のボールベアリング入り切り換え装置を組み込むことで両方向巻き上げから片方向巻き上げに“進化"させ、さらなる巻きあげ効率の向上を実現したCal,1300-3を搭載。またFPジュルヌはこのモデルのため、新たにコンパクトなパワーリザーブインジケーター機構を9時位置に組み込み、高い視認性と機能性を両立させた。ムーブメント/ 自動巻き、Cal. 1300-3、18KRG、直径30mm(13ライン)×厚さ57mm、233部品、27石、2万1600振動/時、5姿勢で調整、自社基準によるクロノメーター精度検定合格、パワーリザーブは120時間以上。ローター/22Kゴールド、ギョーシェ入り、一方向巻上げ式。機能/時分、ビッグデイト、パワーリーザーブインジケニター、大型スモールセコンド。ケース/18KRGまたはPt、直径38.0mm(または40.0mm)×厚さ10.5mm。防水/30m。
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