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長年続いたクオーツ全盛時代の影響で、今、かつての日本の機械式時計の優れた技術と技能は消失の危機に瀕している。その貴重な職人技を未来に伝えるため、セイコーOBであり、かつてスイスの時計業界を驚愕させた名工、野村壮八郎氏が創設した時計工房。時計職人のレベルの低下が叫ばれている現在、この工房は日本の時計の未来を担つていると言えよう。

野村氏は、昭和26年に第二精工舎入社.時計の神様と言われた故山旧柳造氏に師事し、機械式時計からクオーツ時計への過渡期を文字通り目の当たりにする。

昭和39年からセイコー、ひいては日本の時計業界の期待を一身に背負ってスイス、 ニューシャテルの時計コンクールに参加。その年の13位から42年に2位までいったところで、翌年突然規約が変更されて国外からの参加が締め出されてしまった。名上野村壮八郎にさしもの時計王国スイスが肝を冷やしたのである。

セイコーが計時を担当した昭和39年の東京オリンピックには、計時担当者として参加。また、49年には労働大臣から″現代の名工″に贈られる卓越技能賞を受けた。その年度の受賞者中、最年少であった。この3つが、セイコーで過ごした40数年間で最も記憶に残っていることだという。

時計学校を作ることになったきっかけには、自分の年齢のこともあった。セイコー社には56才で雇用更新になる制度があって、次の4年間は嘱託として勤め続けることができるが、60歳で定年、となっている。

さて60歳で定年になったときに一体自分はどうするかと考えたときに、この時計工房を60歳から始めるよりも、今始めたほうがずっといいのではないか、と思ったのである。そして、定年まで待たずにセイコーを退社し、開校するに至ったわけなのだ。

場所があったことも大きな理由だ。自宅隣の一件家を以前に購入してあり、そこを工房に改造した。もし新たに場所を借りて始めるとなるととうてい不可能だっただろう。

修理実習用器材を揃えることができたのも幸運だった。セイコーからたまたまタイミング良く払い下げになっていたのを全部買い取ったもので、現在ではなかなか手に入らなくなったものもある。そして最大の理由が、業界のレベルが低いので、底上げの必要を感じていること。そしてこれからメカ時計をいじれる人がいなくなってしまうんじゃないかという危惧であったのだ。

野村氏は故山田柳造氏が組立工場で使用していた標準時計を譲り受けている。これは昭和ヒトケタの時代に製造されたもので、何度かオーバーホールをしてるはずなのに、裏蓋を開けてみると中のムーブメントはまさしく新品同様に美しい。

ネジの笑い(キズ)がまったく無いのだ。これでオーバーホールしたの,と疑うほど、道具で触った跡が残っていない。これこそが本物の職人の技なのだ。修理にしても同じ事だ。そしてこのノムラ時計工房は、そういう本物の職人を育てるべく設立されたものなのである。

器材の他に、修理道具類も豊富に揃っている。時計職人は専門的になればなるほど専用工具というものが多くなってくるからだ。日本では、道具1個でどんな作業でもこなしてしまうのが職人技だと思われる傾向があるが、時計は欧米から来たものであり、従ってその職人技という概念も、まず道具ありき、なのである。

そのすごいところは、いくつもの作業に使える道具ではなく、たった一つの作業のために、それに最も適した道具があることだ。

たとえばストップウオッチの針を抜く専用工具は、その作業のためだけに作られたもので、他の用途はない。 一般の時計屋の場合には、ストップウォッチの針を抜く作業などというのは150個か200個に1個くらいしか来ないので、めったに使わない工具だから持っていないことが多い。だから他の道具で代用してしまったりすると、変なキズをつけてしまったりするのである。

野村氏は、例えばピンセットにしても、自分自身で普通のビンセットをちょっと加工して作り直したものなど、使う場所によって大中小と、違ったサイズのものを揃えている。同じ仕事を大量にやる時と、違った仕事をやるのとでは、道具そのものが、全然違ってくるし代用品を使っているようでは優秀な仕事はできない、ということなのだ。

講師陣も元セイコー電子工業の技術部長や、第二精工時代の組立部の職長で、日本の機械式時計時代の最占参である角谷貞次氏(実技担当)、それに本間ウオッチ・ラボラトリーの本間誠二氏(クロノグラフなど特殊時計のコースを担当)ほか、野村氏自身を含めて総勢6名のそうそうたる顔ぶれが揃う。

コースは大体4ランクに分かれており、(1)時計の世界に入ったばかりで、まったく時計のことを知らない人。(2)時計の世界に入って1年くらい経ち、分解・組み立てくらいはできるが専門知識のない人.専門知識をつけて、これから活躍していってもらいたい人。(3)特殊時計。この3コースに基礎講座を加えた計4コースである。

ちなみに基礎講座の内容は、メカ講座とクオーツ講座に分かれており、それぞれ分解組立、機構説明、脱進・調速機調整、作動原理、点検調整などからなり、受講料はそれぞれ6万円。これはあくまでも基礎講座なので、専門知識を学んだり、またクロノグラフなどの特殊時計を扱えるようになるためには、さらに上級のコースヘ進むことになる。

テキストは、野村氏が実際にこれまで勉強してきたセイコーの技術者用資料のシリーズが、そのツテですべて揃っている。もちろん、講師陣の時計業界での経験と実績が生きたテキストになることはいうまでもない。

また、日本の機械式時計の消え行く技術と頭脳が集まる、″時計職人のロータリークラブ″として工房を開放しており、娯楽室には講師以外にも時計業界の新旧の技術者や技能者たちが気軽に立ち寄ることができる。そういう場でお酒でも飲みながら交わす雑談の中に、実になる貴重な話が聞けることも、大きなメリットとなることは間違いない。

時計業本の古株と、時計職人の卯が、気軽にコミュニケーションできる場であること。そんな中で自然に、昔の伝統と技術が受け継がれていくことっ究極的には、これがこの時計工房の最大の魅力でもあり、目的でもあると、野村氏は言う。

もちろん受講後には修了証書が発行される。宿泊の手配も行なうので、遠方からの参加も大歓迎だ。機械式時計時代の職人の高齢化が進み、クオーツ時計しか知らない若い職人が大部分となった現代、人が作る時計の心を知る職人の技を未来に伝承できるのは、今しかないのだ。

cal.7743
 110万1000円
SEIKOのニューシャテル天文台コンクールでの入賞作品。外側がひし形になっている独特の形状。

 
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